思考と感覚と戯れる

仕事という環境から生み出された、思考や感覚を表現したい。

チャレンジを深く掘り下げて考える

『やりたいことをやる』というのはチャレンジではない。『やりたくないことをやらなければならない』がチャレンジになる。やりたいことをやるというのは当たり前のことなので。

 

 

人間関係のことなのだが、『仕事』という空間の中では、嫌いな人やウマの合わない人とも業務に携わって行うことが必要で、そういうのを上手くコントロールしてこそ、『仕事』らしい。

 

趣味が仕事になる人は、チャレンジをしていない。

どんなに新たなことを始めても、好きなことに挑むのは、チャレンジにはならない。

好きなことはなんの弊害もなく行えるからだ。

 

逆に、嫌いなことを仕方なくやる。それが、自分にとっての成長に繋がるかどうかは別として、嫌々やること。

 

それこそがチャレンジだと思う。

 

 

自分の好きでないことを生活のため、生きるために、仕事をする。いわば、業務に近い。

それを無理やりやる。と、いうのは『演技』である。

 

 

仕事は『演技』をする場所であって、嫌いなことを好きにやっているように魅せている。

 

そうやって、演技をして、違う自分を作り、意識的に挑む。

 

 

好んでやりたくないこと。それこそが本当の『チャレンジ』

 

 

そういうチャレンジにチャレンジしたい。

 

 

 

傲慢さを自覚することで

◼️身勝手な動き 

組織の中には、『自分勝手』な動きをする者がいる。

 

『私のやり方はこうです。』

『僕はこうしてます。』

※傲慢

 

確かに、仕事を『やらされている』と、いう観点から自主的な考え方に変化させるには、

  • 自分で考えて導く。 
  • 自分で考えて判断する。
  • 自分が正しいと思ったことをやる。

というように、

 

やらされている→やっている

 

自分で考えて、自分なりのやり方を見つけることで、自主的に変換されると、『やりがい』に繋がる。

 

チームを強くするには必要なのかもしれませんし、自分の成長という観点でも必要です。 

ただ、個人が存在するには組織がなければなりません。

 

組織の個人全員が、思考的に『私が』『俺が』になってしまうと、組織は崩壊します。

 

 

 

だから、どこかで統制を取らないといけなくなります。

 

そこで必要なのは調和や協調。

バランスを取るために『合わせる』ことが必要になる。

 

 

 身勝手に動く人がいて、そこに合わせる人を存在させなければなりません。

  

◼️傲慢を自覚した上で活きる

 

傲慢な人は、自分が傲慢だという自覚を持っているのか?

 

そこをしっかりと認識した上で、組織の中で働いているのであるなら、それは戦略的にも戦術的にもレベルの高いと評することが出来る。

 

だが、無自覚で傲慢さを表現しているとなると、それは単なる独りよがりになる。

 

合わせる人が活きてこない。

 

単なるワンマンプレー。しかも、他人を巻き込む。

 

◼️活きるための創造性

 自分も活きるためには、感情的にならずに、冷静で且つ客観的な創造性が必要になる。

 

創造性とは、『自覚の元にあえて演出する』

 

調和や協調を理解した上で、自分の傲慢さを表現する。と、いう戦略的に表現出来ることです。

 

これが、出来るとチーム同士での信頼関係が構築される。

『合わせている人』も戦略的に表現することが出来るようになるので、チームとしてのレベルが上がってくる。

 

 

そりゃ、人によって業務をこなすレベルは違って来ます。遅い人も速い人もいます。

ただ、 相手の気持ちも汲まずに、何の感情も感じず、 そのまま表現するのは未熟です。

 

チームでの仕事とは言えないような気がします。

 

 

 

いつもと違うポジションと役割を求められることで

ポジションによって役割が変わる。

 

理解していてもなかなか出来ない。それは染み付いた習慣力があるから。身体の動きとは無意識化され自動化された質の集成。

全てを感覚的に出来るまでに何遍も同じことを繰り返す。そして、自動的に出来るようになったら感覚化されたことになる。

そこに思考はない。

 

組織プレイにおいて役割分担とは重要なこと。そこでまず、自分が何をしなければならないのか?これを理解する必要がある。ここで、困惑するのは?慣れていない戦術の中での自分の役割。元々、自分の中で決められていた役割がある。ただ、その役割はポジションによって変化する。

 

チームの状態や目的によって自分の役割に変化を強いられるが、そこに対応するのは少し難しい。それは、習慣化された動きがあるから。

 

チームが変わると戦術が変わる。要するに『いつもと違うこと』を要求させられる。この時、そこには『思考』が生まれる。いつもと違うポジションで自分はどんな役割をこなさなければならないのかと。そういう余計な思考が生まれてしまう。

 

いつもと違うポジションで違う役割を求められるのであるなら、

思考のリセットをして、感覚のすり合わせをしなければならない。ただ、それには時間がいる。

 

まずはリセットする時間。そして、新たなる役割を構築する時間。

 

準備期間がそれなりにあるのであるなら感覚に落とし込む時間も作れる。

ただ、その時間がないのであるなら…

そう考えると、役割を変えるというのはなかなか難しいのである。

能力と特徴を知ることで。

ポジションが変わると、役割が変わる。前提はそうなのだが、その変化を理解するのには、時間がかかる。それは組織だから。一人で戦うわけではないので、まずは味方の能力と特徴を知らなければならない。なぜ知るのかというと、相手に合わせるからだ。同じ能力を同じ方向に向けても機能しない。

 

だから、他者の能力を理解する。能力によって出来ることと出来ないことの判別が出来る。そうすれば、相手にどこまでを要求して良いのかを見定めることが出来る。肯定的な部分は能力を理解するという思考を持つ。反対に否定的な部分。これは、特徴を理解する。習性を理解し、フォローをする。

 

相手の特徴を理解する。マイナスな部分だとして、それを補えるのは、フォローである。習性からみた行動パターンで読み取れるのは、次の展開である。しかも、確実に失敗するパターン。特徴から見定めた失敗パターンを知っておけば、未然回避が出来る。

 

 

 

自分の役割を理解したいのであるなら

尚更必要。

 

 

 

 

 

自分で考えないといけない苦しさ

自分で考えなさいという教育論

どうやら、そう教育される世の中です。


特に、 スポーツ指導者の指導方法という中で見かけます。

 

 

自分で考えることが喜ばしいこと、正しいという風潮になっています。

 

洗脳された思考はなかなか外せない

そういう教育を若いうちに受けると

そういう思考を持つ大人になってしまう。

『自分で考えて答えを出す』と、いうことを洗脳され続けると、

『自分で考えて答えを出さなければならない』になってしまいます。それが無意識化され、そうなると、自然に自分で考えて判断をし始ます。

そういう人間が集まる組織は『カオスな状態』になります。

 

個々が勝手な判断で動く。間違った判断で。しかも本人はそれに気づいていない。

 

厄介です。

 

指示をする前に、次に動いてしまっているため、こちらも指示をしきれない。

 

 

だから、その暴走を止めるために、

 

修正作業をしなければならなくなります。

 

今迄の思考を全否定してから、新たなる思考を植えつけなければならない。

 

 

 

 考えるということの見極めの重要性を理解する

 

そうはいっても、考えるべき事柄もあります。

見極めが重要です。

考えて良い事柄と悪い事柄を見極めることが必要です。

それが出来ていれば、考えることでの結果も、考えないことでの結果も生きてきます。

そういった『考える』に対しての見極めをしっかりと理解しなければならないし教えなければならない。

 

 

苦しむ理由

 

間違ったことに対しての修正作業は時間がかかります。

 

まずにして自分で考えることは悪だということに対して理解しなければならない。

受け入れなければならない。

 

それがなかなか出来ない。

 

自分で考えることを正義と植えつけらていた人達はそこにプライドを持ってしまってます。

 

『自分で考えないことに対して許せない』という思考に洗脳されています。

 

 

そこを取り外すことに苦しみます。

 

 

だから、その苦しさに締め付けられていた世界で生き延びていた人達はそこを排除することに 苦しむと思うのです。

 

納得をしてもらうために

哲学的な観点をぶっ込んでくるところが言葉により深みを増します。

 

読み手は、書き手の本質に迫ろうとする。

本来、書き手が、書きたい、思っていることがあって、その意図や意味というのが発生します。それをより深く浸透させるには?

まず言い回しが重要になってきます。

言葉のニュアンスがあって、そのニュアンスにアクセントをつけた用法は効果的です。

ただ、言い回しだけでは限界はあります。より一層本質に迫まらせるには?そこに哲学的要素を入れていくことが必要です。

そうすると、その文章を読み取る上での感情的な要素が排除され、『冷静なジャッジ』で読み取れるようになります。

何故なら、その文章を理解するために繰り返し読むという作業が始まるからです。客観的に理解するという働きが生まれます。 

 

 

哲学的というのは分野の中の一つで、検証をして、分析するための『観点』の一つ。 

ここでは、あえて哲学的観点からの考察をあげましたが、

まとめると、言い回しと、分野を上手く使う。分野ってのは検証に必要な物理、科学、数学、哲学といった『的』観点から考察した意見。こういう観点からの見方というのが、相手を納得させるための必要要素であります。この二つを使いわける。そうすることで相手は客観的、すなわち一般的、普遍的に捉える力が働き冷静にジャッジ出来るようになります。

 

 

 

思考をルーティン化する

思考をルーティン化する。把握し判断する。これは『思考する』ということです。あらゆる状況下において展開をはかる時、しかも時間制限がある時、瞬発的な判断力というものが強いられます。その危機的状況下においても、冷静に状況を把握し正しい判断を行うには?

 

思考するタイミングを決めておく

 

 

判断をしてから実行に入る時間というのは速ければ速い方が次の展開をスムーズに運べます。その判断を俊敏にさせるのが、把握から判断までの時間です。その

把握がポイントです。

 

判断から実行に移す部分に速さを求め、把握から判断までの時間はslowlyでも良い。

 

 把握する場所を決めて置けば、そこで自動的に把握するという無意識が発動します。そこの場所に来たら、『これを考えると』その場所が、それを考えるきっかけの場所です。いつもと同じ場所にモノを置き、自動化状態で行動するのと同じで、そこに来たらそれを考える。同じことを思考するタイミング。

後は、判断と実行に結びつけるだけ。

 

思考の内容を自動的に描き出すための思考のルーティン化。