思考と感覚と戯れる

仕事という環境から生み出された、思考や感覚を表現したい。

傲慢さを自覚することで

◼️身勝手な動き 

組織の中には、『自分勝手』な動きをする者がいる。

 

『私のやり方はこうです。』

『僕はこうしてます。』

※傲慢

 

確かに、仕事を『やらされている』と、いう観点から自主的な考え方に変化させるには、

  • 自分で考えて導く。 
  • 自分で考えて判断する。
  • 自分が正しいと思ったことをやる。

というように、

 

やらされている→やっている

 

自分で考えて、自分なりのやり方を見つけることで、自主的に変換されると、『やりがい』に繋がる。

 

チームを強くするには必要なのかもしれませんし、自分の成長という観点でも必要です。 

ただ、個人が存在するには組織がなければなりません。

 

組織の個人全員が、思考的に『私が』『俺が』になってしまうと、組織は崩壊します。

 

 

 

だから、どこかで統制を取らないといけなくなります。

 

そこで必要なのは調和や協調。

バランスを取るために『合わせる』ことが必要になる。

 

 

 身勝手に動く人がいて、そこに合わせる人を存在させなければなりません。

  

◼️傲慢を自覚した上で活きる

 

傲慢な人は、自分が傲慢だという自覚を持っているのか?

 

そこをしっかりと認識した上で、組織の中で働いているのであるなら、それは戦略的にも戦術的にもレベルの高いと評することが出来る。

 

だが、無自覚で傲慢さを表現しているとなると、それは単なる独りよがりになる。

 

合わせる人が活きてこない。

 

単なるワンマンプレー。しかも、他人を巻き込む。

 

◼️活きるための創造性

 自分も活きるためには、感情的にならずに、冷静で且つ客観的な創造性が必要になる。

 

創造性とは、『自覚の元にあえて演出する』

 

調和や協調を理解した上で、自分の傲慢さを表現する。と、いう戦略的に表現出来ることです。

 

これが、出来るとチーム同士での信頼関係が構築される。

『合わせている人』も戦略的に表現することが出来るようになるので、チームとしてのレベルが上がってくる。

 

 

そりゃ、人によって業務をこなすレベルは違って来ます。遅い人も速い人もいます。

ただ、 相手の気持ちも汲まずに、何の感情も感じず、 そのまま表現するのは未熟です。

 

チームでの仕事とは言えないような気がします。