思考と感覚と戯れる

仕事という環境から生み出された、思考や感覚を表現したい。

フォークソングで奇跡を起こせ

昨日、久しぶりに昔の知り合いと飲んだ。

 

新宿西口で待ち合わせをした。

 

居酒屋さんに入った。

 

メニューは豊富ではなかった。

 

メインの焼き鳥もさほど種類がなく、仕方なく、盛り合わせを2セット頼んだ。

 

他の商品もちょっと頼んだけど。

 

 

飲んだ相手は映像関係の仕事をしている。

僕は、最近美術に興味がある。というより

 

『絵』そのものに対しての表現を楽しむというかその絵を制作した画家の思考が気になる。

 

そう、僕はその人が何をしているかというか、その人がどんな思考を持っているか?と、いう部分に興味がある。

 

 

僕は映像も人生も同じだと思う。

 

もちろん、映像には細かい演出を表現するために、カメラのアングルとかあったりすると思うがそんなのにはあまり興味はない。

 

 

 

僕の興味は物語の中で存在する『思考だ』

 

 

物語の中でどういう思考を持ってこれまでを生きて来たのかと、これからを生きるのか?

 

そういったモノを主観で捉えたドラマが物語として存在し、ノンフィクションの映像が流れる。

 

その人は言ってた、若い時やりたいことがあって、それをやりたいがために、捨てたモノがあったと。

 

 

その選択が良かったどうか?と、振り返って分析している。

 

もし、あの時、今を決断していなかったら、世界一周してなかったかなと。

 

ただ、あの時を捨てずにとっておいたとしたら、安定した生活を送れたと。

 

 

もはや、どっちの選択が正しいのかはわからない。

 

 

 

 

待ち合わせより早く着いた僕はフォークギターで弾いている路上ライブを聴いていた。

 

電話が鳴り、『今どこにおるん?』と、

 

僕は『フォークソングを弾いている人の前にいると』

 

 

 

 

僕は、その時『フォークソングは待ち合わせの目印にしか過ぎないのかな』と、思った。

 

 

 

ロックじゃ世界は変えれない。

 

でも、その歌は未来への道しるべになるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、それをきっかけに奇跡は起きる。

 

 

 

 

 

その奇跡がなんなのか?誰にもわからない物語なんだ。