思考と感覚と戯れる

仕事という環境から生み出された、思考や感覚を表現したい。

業務を高いレベルで行い、提供する

『仕事とは?』

いう漠然とした議題があり、その議題の答えを見つけ出すのは難しい。

 

 そして仕事とは?という、仕事論を語るのは偉そうなことだと思われがちのように聞こえてしまう。

 

そんな考えを持ちながらも、

個人的な根本的本質は

 

 

『満足度を提供する』

 だと思う。

 

会社でいったら提供する相手は『顧客』

 

政治でいったら提供する相手は『国民』

 

 

その人達をどう満足させれるか?

これが『仕事』をする上で最重要な精神なんだと思う。

 

 

そして、何で満足を提供するのか?

ツールが必要になる。

 

そのツールを選択した上で、業務の極めが重要になる。

 

『極限を演出する』

 

仕事をするために、ツールを選び、そのツールの中で、極限を求める。

 

 

極限を求める、それは業務を高いレベルで行う。

 

そうすることで、高いレベルの満足度を与えることが出来る。

 

 

仕事とは?という偉そうな議題の中で、

細かく切り刻んで実行することは、業務の質を最大限にして、提供することなのだと思う。

 

 

 

 

『仕事論を語ることで自らの精神にプレッシャーを与える』

 

アレンジがオリジナリティと生み出す

0から1を生み出す。

 

これはなかなか難しい。

 

自分の言葉も誰かの名言から引用したりする。

 

まったくもって完全コピーではないが、そこにある言葉から自分の思考を引き出し、アレンジを加え表現をする。

 

『1から無限を生み出す』感覚で表現をする。

 

 言葉を生み出すのに、自らのオリジナリティで自分で言葉を生み出せるかといったら、それは微妙だ。

 

 

 

物質の成り立ちは成分、性質、要素を理解して生み出される。

ただ、僕らはそこにある物質に何の違和感も感じず利用する。

 

いちいち、成り立ちに目を向けたりはしない。

 

それが現代社会の特権だったりもする。

 

 

ただ、少し目を向けると、なぜその物質は作り出された? 

と、いう疑問が生み出される。

 

求めているモノを作ろうから、物質は作り上げられる。

 

でも、逆算して考えるのであるなら、この性質からこの物質が出来る。と、『発見』的な思考で作り上げられる。そうでなければ、物質を作り上げるためのヒントには気づけない。

 

 

プラスチックのコップがあるとしよう。

コップを求めてたきっかけは?水をどうやって飲むか?

 

そこからコップを編み出した。ただ、何を材料にする?

 

プラスチックの原料は石油。これを逆算で考えるのであるなら、石油にはコップを生み出す性質がある。

 

石油が何を生み出すのか?

欲しいという願望が何かを生み出すのか?

 

何かをきっかけに物質は生み出される。ヒントに気づくかどうか?

 

これだけの物質が存在する現代。

0から1を生み出すのは用意ではない。

 

言葉も同じで、数々の失敗と成功を繰り返し、生み出された。

 

そして失敗の分、言葉は生み出されてきた。

 

これ以上ないってくらいに失敗は繰り広げられてきた。

 

だから0から1を生み出すのは難しい。

1から無限という、アレンジしか生み出せない。

 

 

 

『ただね、そのアレンジはやがてオリジナリティになるのさ。 』

マイナス思考の無意識化が呼び起こす恐怖

プラス思考というのを継続して実行していると、全ての事柄がプラスに変換していきます。

ただ、これは洗脳です。

悪くはないのですが、一般的には通用しません。

局地に追いやられたときに、なんの解決策もないまま、自己啓発だけで乗り切ろうとします。要するに『自分に目を向けてみたら?』

と、根拠のない解決策というのが先行してしまい、気持ちだけで乗り切ろうとする精神論が先走る。

 

 

本来なら、どうしてそうなったのか?どうすればよいのか?と、分析をした結果、具体的な方法を生み出す。と、いうことをしなければならない。それが根本的問題解決策に繋がる。

ただ、それを続けていくと、物事の結果全てを他人の影響だと考え始まる。悪いのはなんだったのか?と、犯人探しのように誰かの影響によってと、『他人に目を向ける』ようになる。

これは、僕的には、マイナスに働きかけるといった動きになる。

これをすることで、自分だけが責任を持つ。ではなく、他人にもしっかりと責任を持ってもらう。と、いうようになる。

 

マイナス思考(マイナスアプローチ)を持つことで、物事を掘り下げて考えることができ、具体的な要因を探ることまでできるようになれる。

しかし、恐ろしいことにマイナス思考が根強いてしまっただけに、プラスで考えなければならないこと柄に対してもマイナスが反応してしまう。

継続してきたことだけに、習慣化され、無意識のうちに反応してしまうという恐ろしさが生じてしまう。

これが結局どこに繋がるかというと、『批判』に繋がってしまう。思考がそういう洗脳を受けてしまっているので表現もそうなる。

 

 

『誰かのせいにしたがるのだ』

 

思考自体が自動的にマイナスに向かってしまい、自分がどうなのか?の前に、他人がどうなのか?という思考が先に来てしまう。

 

上手くいかなかった結果に対しての矛先が他人優先になり、自分に目を向けることを疎かにしてしまう。

 

 

 

 

マイナス思考という悪魔が僕をどん底に引き込むのだ。

 

 

 

チャレンジを深く掘り下げて考える

『やりたいことをやる』というのはチャレンジではない。『やりたくないことをやらなければならない』がチャレンジになる。やりたいことをやるというのは当たり前のことなので。

 

 

人間関係のことなのだが、『仕事』という空間の中では、嫌いな人やウマの合わない人とも業務に携わって行うことが必要で、そういうのを上手くコントロールしてこそ、『仕事』らしい。

 

趣味が仕事になる人は、チャレンジをしていない。

どんなに新たなことを始めても、好きなことに挑むのは、チャレンジにはならない。

好きなことはなんの弊害もなく行えるからだ。

 

逆に、嫌いなことを仕方なくやる。それが、自分にとっての成長に繋がるかどうかは別として、嫌々やること。

 

それこそがチャレンジだと思う。

 

 

自分の好きでないことを生活のため、生きるために、仕事をする。いわば、業務に近い。

それを無理やりやる。と、いうのは『演技』である。

 

 

仕事は『演技』をする場所であって、嫌いなことを好きにやっているように魅せている。

 

そうやって、演技をして、違う自分を作り、意識的に挑む。

 

 

好んでやりたくないこと。それこそが本当の『チャレンジ』

 

 

そういうチャレンジにチャレンジしたい。

 

 

 

傲慢さを自覚することで

◼️身勝手な動き 

組織の中には、『自分勝手』な動きをする者がいる。

 

『私のやり方はこうです。』

『僕はこうしてます。』

※傲慢

 

確かに、仕事を『やらされている』と、いう観点から自主的な考え方に変化させるには、

  • 自分で考えて導く。 
  • 自分で考えて判断する。
  • 自分が正しいと思ったことをやる。

というように、

 

やらされている→やっている

 

自分で考えて、自分なりのやり方を見つけることで、自主的に変換されると、『やりがい』に繋がる。

 

チームを強くするには必要なのかもしれませんし、自分の成長という観点でも必要です。 

ただ、個人が存在するには組織がなければなりません。

 

組織の個人全員が、思考的に『私が』『俺が』になってしまうと、組織は崩壊します。

 

 

 

だから、どこかで統制を取らないといけなくなります。

 

そこで必要なのは調和や協調。

バランスを取るために『合わせる』ことが必要になる。

 

 

 身勝手に動く人がいて、そこに合わせる人を存在させなければなりません。

  

◼️傲慢を自覚した上で活きる

 

傲慢な人は、自分が傲慢だという自覚を持っているのか?

 

そこをしっかりと認識した上で、組織の中で働いているのであるなら、それは戦略的にも戦術的にもレベルの高いと評することが出来る。

 

だが、無自覚で傲慢さを表現しているとなると、それは単なる独りよがりになる。

 

合わせる人が活きてこない。

 

単なるワンマンプレー。しかも、他人を巻き込む。

 

◼️活きるための創造性

 自分も活きるためには、感情的にならずに、冷静で且つ客観的な創造性が必要になる。

 

創造性とは、『自覚の元にあえて演出する』

 

調和や協調を理解した上で、自分の傲慢さを表現する。と、いう戦略的に表現出来ることです。

 

これが、出来るとチーム同士での信頼関係が構築される。

『合わせている人』も戦略的に表現することが出来るようになるので、チームとしてのレベルが上がってくる。

 

 

そりゃ、人によって業務をこなすレベルは違って来ます。遅い人も速い人もいます。

ただ、 相手の気持ちも汲まずに、何の感情も感じず、 そのまま表現するのは未熟です。

 

チームでの仕事とは言えないような気がします。

 

 

 

いつもと違うポジションと役割を求められることで

ポジションによって役割が変わる。

 

理解していてもなかなか出来ない。それは染み付いた習慣力があるから。身体の動きとは無意識化され自動化された質の集成。

全てを感覚的に出来るまでに何遍も同じことを繰り返す。そして、自動的に出来るようになったら感覚化されたことになる。

そこに思考はない。

 

組織プレイにおいて役割分担とは重要なこと。そこでまず、自分が何をしなければならないのか?これを理解する必要がある。ここで、困惑するのは?慣れていない戦術の中での自分の役割。元々、自分の中で決められていた役割がある。ただ、その役割はポジションによって変化する。

 

チームの状態や目的によって自分の役割に変化を強いられるが、そこに対応するのは少し難しい。それは、習慣化された動きがあるから。

 

チームが変わると戦術が変わる。要するに『いつもと違うこと』を要求させられる。この時、そこには『思考』が生まれる。いつもと違うポジションで自分はどんな役割をこなさなければならないのかと。そういう余計な思考が生まれてしまう。

 

いつもと違うポジションで違う役割を求められるのであるなら、

思考のリセットをして、感覚のすり合わせをしなければならない。ただ、それには時間がいる。

 

まずはリセットする時間。そして、新たなる役割を構築する時間。

 

準備期間がそれなりにあるのであるなら感覚に落とし込む時間も作れる。

ただ、その時間がないのであるなら…

そう考えると、役割を変えるというのはなかなか難しいのである。

能力と特徴を知ることで。

ポジションが変わると、役割が変わる。前提はそうなのだが、その変化を理解するのには、時間がかかる。それは組織だから。一人で戦うわけではないので、まずは味方の能力と特徴を知らなければならない。なぜ知るのかというと、相手に合わせるからだ。同じ能力を同じ方向に向けても機能しない。

 

だから、他者の能力を理解する。能力によって出来ることと出来ないことの判別が出来る。そうすれば、相手にどこまでを要求して良いのかを見定めることが出来る。肯定的な部分は能力を理解するという思考を持つ。反対に否定的な部分。これは、特徴を理解する。習性を理解し、フォローをする。

 

相手の特徴を理解する。マイナスな部分だとして、それを補えるのは、フォローである。習性からみた行動パターンで読み取れるのは、次の展開である。しかも、確実に失敗するパターン。特徴から見定めた失敗パターンを知っておけば、未然回避が出来る。

 

 

 

自分の役割を理解したいのであるなら

尚更必要。