思考と感覚と戯れる

仕事という環境から生み出された、思考や感覚を表現したい。

変わらない本質

■習うより慣れろ

『感覚に落とし込め。』

 

 

何年前の話だよ。

 

 

 

 

『習うより慣れろ。』

あらたまって人から教えてもらうより、実際に経験を積んだり練習を重ねたりして、体で覚えていくほうが、しっかりと身につくという意味。
「習う」とは、知識や技術の教えを受けるということ。
本来の形は「習うより慣れよ」。

 

こういう言葉があるように、理屈を並べるより先に『動く』ことをすれば、勝手に身体が覚える。

 

確かに。『やる』ことでしか身体に染み付けられることはできなくて、その繰り返し、反復が

感覚に落とし込むための最大の手法だと思う。

 

 

ただ、怖いのは独自のやり方が、反復として身についた時、組織としてのバランスを崩していかないだろうか?

 

 

習う人が10人いて、10人違うやり方で学んだら、その10人はどんな慣れ方をするのだろう。

 

 

そして、その10人がポジションに入った時に、互いにどんな影響を与えるのか?

 

そして、互いにどういう思いを張り巡らせるのだろうか?

 

やりやすいのか?はたまたやりづらいのか?

 

■自分のやり方を押し付けるのではなく、『ここでは』こうしてる

 

業務を教える時には、『僕はこうしてる』と、いう教え方ではなく、

 

『◯◯ではこうしてる』と、いうように、その会社でのルールを理解させながら教える。

 

そう教えると、安心して覚えるコトが出来る。

 

なぜなら、独自性が浸透せずに、組織としてのやり方を覚えるコトが出来るので、

 

いちいち人に合わせる必要がなくなる。

 

■合わせるという時間の無駄

10人が10人やり方が違うと、個々が個々のやり方を感じ、合わせなければならない。

 

そうすると、何通りものやり方を教えなければならない。

 

そこにかかるには結構な労力がかかり時間がかかる。

 

 

■答えだけを一つにする

と、はいえどもやはり人間が作業することなので、どうしても個々のやり方は存在してしまう。

 

だから、ある程度過程は個々の自由にして、答えは一つにする。

 

どんな工程を踏もうが、最終的に同じところに到達できる。

 

そこだけのルールをしっかり守って業務を教えていけると安心して業務に携わるコトができる。

 

 

 

 

組織とは、様々な思考の塊。

思考と思考がぶつかって成り立つ。

この人の考え方はあまり合わない。

この人、生理的に受け付けない。

そういうこともある。

 

 

そういのも含めて、

 

 

 

 

 

習うより慣れろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『何年前の話だよ』