自分で考えないといけない苦しさ
自分で考えなさいという教育論
どうやら、そう教育される世の中です。
特に、 スポーツ指導者の指導方法という中で見かけます。
自分で考えることが喜ばしいこと、正しいという風潮になっています。
洗脳された思考はなかなか外せない
そういう教育を若いうちに受けると
そういう思考を持つ大人になってしまう。
『自分で考えて答えを出す』と、いうことを洗脳され続けると、
『自分で考えて答えを出さなければならない』になってしまいます。それが無意識化され、そうなると、自然に自分で考えて判断をし始ます。
そういう人間が集まる組織は『カオスな状態』になります。
個々が勝手な判断で動く。間違った判断で。しかも本人はそれに気づいていない。
厄介です。
指示をする前に、次に動いてしまっているため、こちらも指示をしきれない。
だから、その暴走を止めるために、
修正作業をしなければならなくなります。
今迄の思考を全否定してから、新たなる思考を植えつけなければならない。
考えるということの見極めの重要性を理解する
そうはいっても、考えるべき事柄もあります。
見極めが重要です。
考えて良い事柄と悪い事柄を見極めることが必要です。
それが出来ていれば、考えることでの結果も、考えないことでの結果も生きてきます。
そういった『考える』に対しての見極めをしっかりと理解しなければならないし教えなければならない。
苦しむ理由
間違ったことに対しての修正作業は時間がかかります。
まずにして自分で考えることは悪だということに対して理解しなければならない。
受け入れなければならない。
それがなかなか出来ない。
自分で考えることを正義と植えつけらていた人達はそこにプライドを持ってしまってます。
『自分で考えないことに対して許せない』という思考に洗脳されています。
そこを取り外すことに苦しみます。
だから、その苦しさに締め付けられていた世界で生き延びていた人達はそこを排除することに 苦しむと思うのです。