自分で考えないといけない苦しさ
自分で考えなさいという教育論
どうやら、そう教育される世の中です。
特に、 スポーツ指導者の指導方法という中で見かけます。
自分で考えることが喜ばしいこと、正しいという風潮になっています。
洗脳された思考はなかなか外せない
そういう教育を若いうちに受けると
そういう思考を持つ大人になってしまう。
『自分で考えて答えを出す』と、いうことを洗脳され続けると、
『自分で考えて答えを出さなければならない』になってしまいます。それが無意識化され、そうなると、自然に自分で考えて判断をし始ます。
そういう人間が集まる組織は『カオスな状態』になります。
個々が勝手な判断で動く。間違った判断で。しかも本人はそれに気づいていない。
厄介です。
指示をする前に、次に動いてしまっているため、こちらも指示をしきれない。
だから、その暴走を止めるために、
修正作業をしなければならなくなります。
今迄の思考を全否定してから、新たなる思考を植えつけなければならない。
考えるということの見極めの重要性を理解する
そうはいっても、考えるべき事柄もあります。
見極めが重要です。
考えて良い事柄と悪い事柄を見極めることが必要です。
それが出来ていれば、考えることでの結果も、考えないことでの結果も生きてきます。
そういった『考える』に対しての見極めをしっかりと理解しなければならないし教えなければならない。
苦しむ理由
間違ったことに対しての修正作業は時間がかかります。
まずにして自分で考えることは悪だということに対して理解しなければならない。
受け入れなければならない。
それがなかなか出来ない。
自分で考えることを正義と植えつけらていた人達はそこにプライドを持ってしまってます。
『自分で考えないことに対して許せない』という思考に洗脳されています。
そこを取り外すことに苦しみます。
だから、その苦しさに締め付けられていた世界で生き延びていた人達はそこを排除することに 苦しむと思うのです。
納得をしてもらうために
哲学的な観点をぶっ込んでくるところが言葉により深みを増します。
読み手は、書き手の本質に迫ろうとする。
本来、書き手が、書きたい、思っていることがあって、その意図や意味というのが発生します。それをより深く浸透させるには?
まず言い回しが重要になってきます。
言葉のニュアンスがあって、そのニュアンスにアクセントをつけた用法は効果的です。
ただ、言い回しだけでは限界はあります。より一層本質に迫まらせるには?そこに哲学的要素を入れていくことが必要です。
そうすると、その文章を読み取る上での感情的な要素が排除され、『冷静なジャッジ』で読み取れるようになります。
何故なら、その文章を理解するために繰り返し読むという作業が始まるからです。客観的に理解するという働きが生まれます。
哲学的というのは分野の中の一つで、検証をして、分析するための『観点』の一つ。
ここでは、あえて哲学的観点からの考察をあげましたが、
まとめると、言い回しと、分野を上手く使う。分野ってのは検証に必要な物理、科学、数学、哲学といった『的』観点から考察した意見。こういう観点からの見方というのが、相手を納得させるための必要要素であります。この二つを使いわける。そうすることで相手は客観的、すなわち一般的、普遍的に捉える力が働き冷静にジャッジ出来るようになります。
思考をルーティン化する
思考をルーティン化する。把握し判断する。これは『思考する』ということです。あらゆる状況下において展開をはかる時、しかも時間制限がある時、瞬発的な判断力というものが強いられます。その危機的状況下においても、冷静に状況を把握し正しい判断を行うには?
思考するタイミングを決めておく
判断をしてから実行に入る時間というのは速ければ速い方が次の展開をスムーズに運べます。その判断を俊敏にさせるのが、把握から判断までの時間です。その
把握がポイントです。
判断から実行に移す部分に速さを求め、把握から判断までの時間はslowlyでも良い。
把握する場所を決めて置けば、そこで自動的に把握するという無意識が発動します。そこの場所に来たら、『これを考えると』その場所が、それを考えるきっかけの場所です。いつもと同じ場所にモノを置き、自動化状態で行動するのと同じで、そこに来たらそれを考える。同じことを思考するタイミング。
後は、判断と実行に結びつけるだけ。
思考の内容を自動的に描き出すための思考のルーティン化。
準備の時間を短縮する
準備も様々あって、目的がなんなのかによって準備の内容も変わりますし、準備の時間も変わります。仕事をこなすと言う世界の中では、準備というものが重要と言われ、準備の精度によって仕事の消化率へ大きな影響をおよぼします。準備を怠ることで、とんでもない結果が起きたりします。
だから、準備は大切です。
ただ、最近準備に対しの価値というモノが変化しました。
準備準備と言いますが、準備の本質を理解しているのだろう?と…
さて、仕事をこなす(消化)中で、どこまでの準備をするのか?これは難しいところでもあります。
どのくらい先まで読んで、準備をして、その準備を活かせるタイミングを待つのか。
これを見計らうためには
『優先順位』というものが重要になります。優先順位を把握出来ていれば、無駄な準備はしなくてすみます。
『要するに今している準備はなんのため?』
僕の中で、ここ何年かで出た答えは、準備を縮小するという動きです。準備を最小限に抑えることで、情報と労力も最小限の稼働状態で挑めます。
準備が長いと、古い情報がかき消され、新しい情報に埋もれてしまう。
その分、思考もしなければならないので、頭も痛くなります。そういった負荷を軽減するために、最小限の準備を心がけます。
その最小限に準備を抑えるには何が必要か?
『見込み』
見込みをしっかり立て、そこに使用する、思考と行動も見込みます。
今日はどうするのか?
例えば、営業職でも、今日回る、もしくは回れるであろう件数をあらかじめ決め、そこへの計画を立てる。この時に決めるのは
- 回る順番
- 滞在する時間
- 次の場所行く移動距離と時間
このあたりを見込んで、行動に移せば、見込んだ通りの消化ができる。
後、重要なのは、
『ルーティン作業』
決められた場所に決まったモノを置き、無意識(自動)にそれを手に取る。これで、無駄な思考と無駄な行動を省ける。いつもと違うところにモノを置いてしまうと、『探す』という思考をしてしまい、そこに時間が取られるのと、他のモノを忘れる可能性が高くなる。
だから、あらかじめ見込みを立て、その見込みもあまり過度なものではなく、経験と実績で補えるくらいのモノとし、適正な見込みを立てた上で、適正な思考と行動パターンにはめ込む。そうすると、準備に時間はかからない。
無駄な準備をせずに、最小限の準備で挑めます。
冒頭でも言いましたが準備は大事ですし、必要です。
ただ、極力無駄なことはしない。
目的が準備にならないように、しっかりと見極めて実行に移すこと。そうでなければそこには本当の価値など存在しません。
と、僕は思うのです。
サッカー分析をしていくために
サッカーを分析的に観察していく中で
どうすれば良いのか考えてみた。
■分析の仕方
●基本ベース
①監督による戦術とフォーメーションの決定
②選手による技術と特性の把握
まず、戦術とフォーメーションを理解する。どういった戦い方をしたいのか?
それによってどういう布陣でいくのか?
次に、誰を使うのか?その戦術に適した人材をどう選出しているのか?
監督の意図とそれに対しての選手の反応。この辺りの考察が分析する上で重要な事柄。
●応用ベース
①相手の戦術の読み取り
②伏線と展開の分析
そして、試合開始してからの実際の動き。
相手がどうしてくるか?どんな戦術できているのか、いち早く把握することが重要である。
キーマンとなる選手、その選手の特性は何か?起点はだれか?囮は誰か?今後の展開は何か?それまでの伏線は何なのか?
そういった『相手』の意図というものをいち早く察知し、修正と対応をどうしていくのか?
という部分を見ていくことで、
分析がしやすくなる。
分析的に見解していくということに
少しストイックにいきたい。
理想の個性
【秩序を理解した上で個性を演出する】
マニュアル化した正しい仕組み、組織の中で個人特有な性質を引き出す。もしくは、今ある性質から新たに情報を与え、新しい性質を作りだす。
これが僕の理想論である。
自分らしさを出すには時間がかかる。
自分らしさを生み出す段階で必要なのは、周りを知るということだと思う。
周りの状況や状態、価値を知り、それを吸収した上で、自分の発想を表現する。
何も知らずに自分らしさが出せたらそれは自分らしさでもなんでもない。単純に自由に自分らしく表現したにしかすぎない。
まぐれで表現された個性である。
そうなると、個性が後に続かず、後に自分らしさを忘れてしまう。
だから、一般的、妥当性なモノやコトを知り、そこから個性的な表現をどう生み出していくか?ここが重要なポイントだと思う。
また、それをしっかりと教えていく教育者も必要。人と違う見解や人と違う表現をする。それを個性と評価してしまう前に、しっかりと個性の意味づけを教えていかなければならない。
安易な個性で個性を潰してしまうのか?しっかり奥深く探求することで個性をどう磨けるのか?このあたりをしっかりと見分ける必要がある。
絶対成功への秘訣
◾︎パターン化された選択肢の中から展開を引き寄る。
わたし失敗しないので。